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動画

山川氏発言より 一部抜粋・要約

  • 日米地位協定の改定まで踏み込める政治家がなかなかいない。
  • 日米安保は対等な立場で・同じ目線で、日本のルールで裁ける状況を。徹底した平和外交を。
  • 沖縄ではじめて(前回2024年衆院選で)れいわ新選組が議席を獲得した。
  • オール沖縄(日本共産党、立憲民主党、社会民主党、沖縄社会大衆党)は何故れいわを取り込まないのか? という声
  • 沖縄では「自民にも行きたくないけど、オール沖縄にも行きたくない保守中道層」は、れいわ新選組が風穴をあけてくれることに期待をしている。
  • 経済・平和の両輪、翁長雄志さんが打ち出したオール沖縄の原点に立ち返ることができるのはれいわ新選組しかないのでないか? と期待されている。
  • 今の自公政権が続くほど、軍事や有事(の懸念)は深まってゆく
  • 本当の保守とは? 自民党のように、沖縄を売り飛ばすのは保守とは言えない。
  • 山川議員の祖父は、1950年代に沖縄の自民党を立ち上げたメンバーのひとり。ゆえに、沖縄を守る「本来の保守」のDNAが身体に刻まれている ⇒(本来の保守を体現できる)れいわ新選組で頑張ってゆきたいと思っている。
  • れいわ新選組が出てきたからこそ、新しい沖縄環境で「解決出来なかったことが解決できる可能性が高まったよね」という(周囲からの)期待値がすごい。

──『経済界・保守層が「れいわ」に注目してくれているっていうのは、正に「我が意を得たり」という感じ』と、辻氏も膝を打つコメント

沖縄慰霊の日 コメント

山川ひとし: 公式サイト X (旧Twitter)

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西田ひさよ

皆さん、こんにちは。本日はご視聴ありがとうございます。今日の対談では「沖縄の現状と今問われていること」をテーマにお話をしていただきます。

本日、司会を務めさせていただきます(愛知県)豊田市、市議会議員の西田ひさよと申します。よろしくお願いします。

まずは本日の登壇者お二人をご紹介します。お一人目つじ恵(めぐむ)さんです。つじさんは、二期衆議院議員、弁護士を45年間活動されています。政治的、法の専門家として日米の関係に関わっていらっしゃいました。

もうお一方は、山川ひとしさんです。前回の衆議院選挙で沖縄4区から立候補され、現在れいわ新選組衆議院議員として活躍してくださっています。沖縄県民として(日米)地位協定の問題を肌感覚で理解されている数少ない政治家のお一人です。

それでは対談を始めていきたいと思います。ここからはつじさんに進行をお願いいたします。

つじ

はい、皆さんこんにちは。れいわ新選組の参議院愛知県総支部長のつじ恵です。

今ご紹介いただきましたように、衆議院議員二期務めましたが、社会問題に社会人として関わり始めたのは1981年に弁護士になってからかな?というふうに思います。今年で45年目なんですけども。

初めて沖縄に私が行ったのが、確か1982年で、その時、白保の海を埋め立てるっていうことで、(新石垣)空港をあそこに持ってくると言うようなことで、反対運動とかがいろいろあり、池宮城さんと言う沖縄の弁護士さんが、その反対運動の中にいたと言うことで逮捕されたと、言うようなことが確か1982年ごろありました。

私は弁護士になって、当然学生の頃とか沖縄闘争と言うことが大きな問題であって、それなりに関心を持って関与したりしていたんですけども、初めて沖縄に行って、同じ弁護士だと言うことで、池宮城さんと先日亡くなられた照屋寛徳さん、後に社民党の衆議院議員になられたんですけども、ちょうど沖縄の県会議員になるかどうかと言うようなことで、政治的発言をされた頃だったと思いますけど、お二人にですね、オリオンビールをもういっぱい飲まされて、沖縄のあちこちを連れて行っていただいたと、言うようなことで、沖縄の市場にもいろいろ連れて行っていただいたと言うようなことで、何か非常に温かく受け入れていただいたなっていう印象が、まずあります。

当時は環境問題で「白保の海を守れ」とか言うようなことで、沖縄の発信力というか、注目度がそういう方向でですね、むしろ戦後のいろんな基地を押し付けられたり、いろんな負担を押し付けられたりって言うような事は客観的に事実であったんだけど、なんか明るく戦えるような雰囲気があった。

今とだいぶ変わっているように思うんですけども、山川さんの世代から見て、そういうような私の思いなんかについては、何かお感じになる事はどんなことがありますでしょうか?

山川

はい、あの、皆さんこんにちは。衆議院議員の山川ひとしです。今日はつじ恵先生と対談できること嬉しく思っています。また、よろしくお願いします。

今つじ先生お話しした、1982年に沖縄に初めて訪れて池宮城先生達といろんな活動されたって言うお話がありましたけれど、1982年て言うと私がちょうど8歳の頃。もう小学校3、4年程度の幼少時代で、運動場を駆けずり回っているような時に、先生はいろんな思いを込めて沖縄に入っていただいて、私も大人になってこのようにいろんな時間を共有できることを大切に感じています。

沖縄問題っていうのは本当に(本土)復帰前から米軍施政権下に置かれて27年間統治をされて、(通貨は)米ドルで、パスポートもないと日本に入れないような状況があったと言うふうに、父親や様々な諸先輩方からお話を伺っていて、(本土復帰で)お金は日本円を使えることになって、パスポートもいらないような状況になりましたけど、それでも、変わってる環境っていうのはより酷くなっていると思います。

様々なデータも見ていると、沖縄の問題に「沖縄振興特措法」と言う特別な法律がありますけど、その特措法も踏まえても、本当に沖縄県民のためだったのか?と言わざるを得ないような状況がずっと続いて、県民は復帰53年になっても県民所得がワースト、全国の2倍以上の貧困率を誇って、貯蓄と言われている貯金も全くゼロに等しい方々が多くいて、年金問題、今回国会でも年金法が可決されてしまいましたけど、そういった状況もこの米統治下の中の27年間て言う状況下において、なかなか国民年金だったり社会保険を得られていないような県民が多くいる。月20,000円と言われている方々もいるんですね。

そういった状況をどうにかやっぱり変えていかないといけないのに、なかなか今の政府が変えてくれない、考えてくれないような状況がずっと続いて、一部の利害関係者だけの状況になっているので、ぜひこの思いをまた、つじ先生とも共有しながら国会に来ていただいて、力強く、れいわ新選組のやっぱり「ブレない」「空気を読まない」戦いを一緒にしていただければなと思います。

つじ

はい、ありがとうこざいます。

実は83年に…翌年だったかな?金城実さんとお会いしてですね、それは大和でお会いしたんですけども、浜比嘉島ご出身ですよね、確かね金城さん。で、いろんな話を伺って、で、私は新婚旅行に84年に行ったんですけど、沖縄に行きましてですね、石垣も西表も、あと与那国まで行ったんですね。「与那国から台湾が見えるよー」とか言って、与那国に馬がいて、ちっちゃな馬なんです。与那国馬って言うのかなんか知らないけど。

泊まったところが民宿みたいので「ホワイトハウス」とか何とか言う名前だったのを覚えてるんですけど。

非常に何か時の流れるのがゆったりしていて、みんなあんまり切迫感もなくて、やっぱり南国でゆったり暮らしておられるんだなぁって言うそういう雰囲気に浸ることができたし、「どなん(与那国島の泡盛)」ですか?めちゃめちゃ60何度の焼酎飲まされて、結構しんどい思いをしたってなことがあるんですけど。

その後与那国がですね、台湾海峡に向けたほんとに前線基地みたいな形で、街が二分されるようなところで自衛隊がどんどんどんどん入ってきて、全然何というかそんな和やかな、沖縄らしいおおらかな暮らしができるような状態では全然違っているんじゃないかなってことで、なんでこんな風になってきたんだろうなぁってところをやっぱり振り返りながら、今の課題も整理していかなきゃいけないなって言うふうにには思っているんですけども…。

やっぱり、90年代に大田さんが知事になられて、革新県政が屋良県政からずっと引き継がれてきていたのを、やっぱり大和の側が日本政府の側が強圧的に従わせようとした、いろんなことアメリカにそれは裏から言われているのかもしれませんけども、その辺については沖縄の人たちの実感としてはどんな受け止めなんでしょうか?

山川

そうですね、一番言える事は、足元の生活をどうにか良くしていきたい、そのためには本土の皆さん方の言うことを聞いてお金を落としてもらうしかないよね、って言う先入観から入っているんですよね。

この与那国の話も、最初のスタートは自衛隊が入ってくると街が人口が増えて経済が活性化するよ、って言うスタートから始まったのに、急に電磁波の鉄塔が立ったり、自衛隊が増強されて、台湾有事と言わずとも何か有事を想定した避難訓練等々が始まっていくと、不安に駆られて、そんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかったのに、ってもう、言ってきているんですよね。

で、それぞれの当時の判断をした首長の皆さん方も、そんなはずじゃなかったのに、って言うことをなんかまぁ、わかった上でわざとそういうことを言って自分たちの罪滅ぼし的な…、発言というかですね、そういったことをしていると思うんですけど。

それをしっかりと、先ほどちょっと冒頭で申し上げたように沖縄振興予算のあり方だったり、全国民が等しく享受しないといけないこの日米安保の問題、そういったことを当然やっぱり広く一億数千人の国民がきちんと重く受け止めて、沖縄だけにその防波堤をさせちゃいけないんだ、日本の安全は日本で守っていくんだって言うこの気持ちを統一していかないと、なかなか解決できない問題ではありますよねそこは。はい。

つじ

70%以上の基地が沖縄に押し付けられていて、先ほどおっしゃったように県民所得がワースト1位だとかいうような負担を押し付けて、それでなお信仰の予算なんかについても、政府の言うことに従うときには少しかさ上げするけど、それ以外だったら緊縮にするとか、いうような形で、金でほっぺたを叩いて従わせるっていうようなことがどんどん進んでますよね。

そういうことについて日本の本土の側の認識は、やっぱり弱いというか、これは国会の責任でもあるのかな、って言うふうに思うんですけども、どういうふうに本土の人たちには、もっと理解を深めるためには何を学べばいいでしょうかね、本土の側としては。

山川

そうですね、ちょっと誤解があるのは「沖縄はたくさんもらってるでしょ?」とか「高い補助率の中でうまくお金を回せているんじゃないの?」とかですね、そういったこと言われて、基地があるからこそ逆にいろんな予算が、恩恵を受けて優遇されているんでしょ?って言うようなことを言う国会議員の方々がやっぱり多くいますね。

ただ我々としては基地があるからこそ、この一番経済の阻害要因になっていて、それで事件事故も多発しながら、沖縄振興予算はずっと毎年下がり続けているにもかかわらず、事件事故はずっと右肩上がりで上がり続けてるっていう、真逆の状況。

そういったことをしっかりと自分たちのことのように重く受け止めていただいて、仮に自分たちの街に同じような状況が作られたときに、本当に安心して街を歩けるんですか?だからこそ、日米安保は対等な立場で、同じ目線で、日本のルールで裁ける状況を作りましょう、っていうのが、れいわ新選組の徹底した平和外交を進めていきましょうから国民が知ってもらうための1番のポイントだと思いますね、そこは。

つじ

そうですね。沖縄かられいわの山川さんが当選していただいて、国会で質疑をされるってことで、やっぱりそれは非常にインパクトになって、今あの、本土の側の理解が進む大きな力になっているなって言うふうに思うんですけれども。

玉城デニーさんなんかも非常に苦しい状況で、いろいろ頑張ってるけども、アメリカの沖縄事務所閉鎖せざるを得ないとか言うようなことで、政治的環境がかなりしんどくなっているような感じがして、非常に私も何とかできないもんかなぁと言うのは思っているんですけども、その辺、玉城さんなんかとお会いになってお話になったり、どういうふうに希望を持っていこうかって、そんな事は議論されたりしているんでしょうか?

山川

私が国会議員になってからはそのような議論はさせてもらったことないんですけど、ただやっぱ気持ちとしては、行政運営に関わるこの首長、ま、行政の長としてですね、守らないといけない地方自治の法令の問題だったり、もしくはそれとは別に政治的判断をしないといけない政治家の顔だったり、首長っていうのはこの両面持たないと当然いけないわけですけど、その時に、法令より政治判断が上になる時と、政治判断をするよりかもやっぱ行政として法令を守らないといけないところと、やっぱ苦しい立場に、当然玉城知事もいると思うんですけどね。

ただ、沖縄のこの特殊事情、そして沖縄振興特別措置法と言われている沖縄が抱える日米安保の問題を考えたときに、法令よりかもまず、人間として、人権として、考えたときに、政治判断で、うまく利用されている今の自民党政治の中でこれまでずっと虐げられてきた沖縄があるんであれば、政治判断を優先しながら、しっかりと知事には重い十字架的なものを背負わせことじゃなくて、みんなで、この重い荷物を分担しながら背負っていけるように、日米地位協定もちゃんと改訂するっていう政治力をみんなが発揮していただければ、自民党のみならず、我々れいわ新選組もしっかりとそれを背負って、変えていける、そしてまた対等にして日米安保を守りながらもアジアとの諸外国との経済の循環を作っていけるっていうのは私は確信はしているんですけど、そこまで行き着く政治家がなかなかいないっていうのが一番の問題点ですね。

つじ

私も衆議院議員時代、法務委員会で日米地位協定の問題を取り上げて、それなりに問題点を明らかにしようかっていうふうに糸口には立った事はあるんですけども、なかなかまぁ、十分な展開ができていなくて…、というところで申し訳なかったなぁってな事はありますけども、「最低でも県外」とか辺野古の問題ですよね、嘉手納基地の問題について、日本の政治が当時私民主党での衆議院議員だったんですけど、民主党は辺野古の問題については優柔不断でですね、むしろ賛成するような…。

ところが、鳩山さんが総理を辞められた後ですね。菅さんとか野田さんの状態になった後、辺野古の問題についてはかなり沖縄のことを真剣に考えないような雰囲気があったなぁっていうふうに思って。

まぁ、玉城デニーさんはそれに対してちょっとややきちっとした正論を吐いて、違う政治姿勢を持って頑張ろうとされていた。

その辺が翁長さんから見れば本土のいろんな勝手な政党政派の、いろんなことで、本質的な問題を一に考えるのではなくて、本土の政策のひとつとして沖縄政策みたいな形で…。

だからあんまり真剣じゃない、親身ではないと。それと比べて、沖縄出身者でもあると言うことで玉城さんの姿勢が評価されて自分の後継者に選ぼうとされたのかなというふうに思うんですけど、その辺が翁長さんの何かオール沖縄的な発想の広さというか深さというような感じを私は感じたりしているんですけど、やっぱりそれは沖縄の人たちにとって非常に共感する姿勢だったんじゃないかなと思うんですけど、その点は評価いかがでしょうか?

山川

はい、そうですね。翁長雄志さんも元々はバリバリの自民党でしたし、玉城デニー知事は中道保守的な立ち位置ではあったと思いますけど、どなたでも融和を持って、協調性を求めていた政治家の1人だったとは思います。知事のほうはですね。

なのであの、当然あのそういうふうな流れがあって、今二期目の知事の中で沖縄問題をどうにかしないといけないってとこなんですけど、ちょっと今県政が過半数、与党過半数を割ってしまって少数与党という大変苦しい立場になっているので、まぁ知事をしっかり支えていけるような国会の体制だったり、県政だったり、地方自治の議員の皆さん方含めてですね、みんなでやっぱり沖縄問題は、超党派で取り組んでいける可能性をまた見出していかないといけないのかなって言う今まぁ局面ではありますね。こういった意味では。

つじ

今日の対談で深掘りはできないんですけど、沖縄の政治がなかなか突破口を見出し得ないと言うようなところで、オール沖縄もやや、一時ほど「そのもとでみんなが頑張れば何か解決できるんだ」っていう、そういう熱気があったように思うんですけども、それが少し色褪せてきているような中で、私は、2009年に当選された瑞慶覧長敏さんとはそこそこ交流があって、沖縄の社会大衆党と言うような地場の政党の考え方で、保守革新もよりも超えて沖縄を、というところに、非常にしっかりされた立場をとっておられるから、やっぱりもう一回、その沖縄の政治状況を立て直すために、活躍できるような政治勢力をうまく作れればいいのかなぁと。

そこにれいわがどういう役割を果たせばいいのかなっていうのを考えたりしています。

それが1つともう一つは、それがなかなか困難になるっていうのは、やっぱり台湾有事の問題で、自衛隊の存在感というかその辺がどんどん深まっているから、それに大きく制約されてしまうから、従前のような議論だけで沖縄の県民の間の意向だけで何か解決できないようなもう、重しがですね、逆にかかってきている。

その2つの問題について大変だなぁっていうふうに、どう解決すればいいんだろう、ていうふうに思ったりするんですけど、その辺いかがですかね?

山川

沖縄の今の最大の政局的な動きっていうのは、れいわ新選組が今回沖縄に初めて議席を保有したっていうかですね。

自民にも行きたくないけど、オール沖縄のほうにも行きたくない、って言われた保守中道層っていうかですねぇ、経済界の皆さん方は、れいわ新選組が何かその風穴開けて、これまで動かせなかった沖縄の諸課題に、経済も平和問題もしっかりと両輪として打ち出した、翁長雄志さんが作った、結集した、このオール沖縄の本来の原点に立ち返るのはれいわしかいないんじゃないか?と言うふうな期待値はとっても今あります。

つじ

え、そうなの?!

山川

あるんです!

その、あるからこそ逆に、なぜオール沖縄はれいわを取り込まないのか、って言う経済界の方々からのいろんな叱咤激励を私も受けているのは、正直あるんですね。

だけど、そこにあやふやなままオール沖縄とタッグを組むってことは、れいわ新選組のやはりこの「真の戦う野党」としての精神に反しますので。

私たちはダメなものはダメなんだと、「南西シフト」を作ってしまったきっかけはどこにあるのか、とか、辺野古はなぜ回帰したんだ、とかですね、経済を立て直すためにどのようなことをすれば良いのかってことを考えたときに、今のやはり、野党第一党の立憲民主党じゃそれは任せられないと。

それにまぁダラダラと手をつなぐようなれいわ新選組ではありませんので、しっかりとやっぱり、きちんとした沖縄の気持ちを汲んだ仲間を集めていくことが最大の近道、沖縄の諸課題を解決する最大の近道なので、私たちはれいわ新選組として沖縄にも仲間を増やしていくと。そこしかないですね。

そこから徐々に徐々に各政党会派の皆さん方が意識を取り戻していただいて、本来の沖縄を守る保守だったり、革新だったりと言うことを結集軸として捉えられるタイミングが来てくれたらなぁって言うふうに今活動しているところです。

もう一つは、台湾有事・台湾関係で自衛隊が配備されている問題ですけど、それについては今の政権が続けば続くほど必ず軍事や有事は深まっていく、強まっていくと思います。

ただ、れいわ新選組が政権の一翼を担うことができるんであれば、自衛隊配備の問題もしっかりと「防災」と言う形で、国を守る、国民を守る、防災の観点から配備を増強するのではなくて、配備を一定国民のために守れるような環境の動員数で保ちながらも、きちんとした宮古や石垣に作られた強固な自衛隊の弾薬庫も、弾薬庫を撤廃していただいて、そこは住民が避難できるような、食料を安全に確保するような場所にしていくと。

我々が政権の一翼を担うと言う事は、それだけの指揮権を持つわけですから、指揮権をもった上で自衛隊を徹底的に「命を落とさない教育」の意識改革をしていくと、っていうことであれば全く難しい話じゃないと、私は考えています。

つじ

経済界保守層がれいわに注目してくれているっていうのは、まさに「我が意を得たり」と言う感じのところだと思いますよね。

もともとやっぱり翁長さんのオール沖縄、まぁ別に第一野党を批判するだけが目的ではないんですけど、もともとはだからそれに沿っていなかったですよね。

1区は共産党、2区は社民党、3区は生活の党、4区が保守系の無所属のかた…、で、沖縄はオール沖縄で、民主はもともと辺野古建設を認めるような立場だったから…。

それが今オール沖縄の名前をかたって、何か独自のものを自分たちの、ある種私は政党のエゴだと思いますけど、それをゲットしようとしているって言う…、まさに全体で野党共闘って名前が実はその既存の第一政党の得になるだけの方便だと。

本当に共闘して皆が切磋琢磨するって言うのが、共闘関係とは縁もゆかりもない対応の状態だって言うのと同じだって言うふうに思って、非常に勇気を得たと言う感じがします。

山川

瑞慶覧長敏先生も私がちょうどこの政治を志すきっかけになった旧民主党時代の沖縄4区のの衆議院議員でした。

それで、私もたまたまいろんなつながりがあって、瑞慶覧長敏先生の施設秘書だったんですよ。

そこからいろんな形で公設第一まで務めさせてもらって、次に豊見城と言う場所で地方議員を二期行なって…。

その後に旧民主党の時に、辺野古回帰をしてしまって、鳩山さんが。その後に野田、今の立憲の野田代表が総理になった時に消費税を上げてしまったんですよね。それで「解散しましょうよ」って言って強がったんですけど、その時に「もう、この政党にいちゃだめだ」って言って、抜けて無所属に私はなりました。

つじ

私と一緒だ。私もその時に離党しているんです。

山川

いろんな人たちに止められましたけど、「いやいやそういう国民に向かない政党はダメだ」って言って…、無所属になって、その後に首長に推挙されたんですけど…。

当時やはり無所属で保守中道の感覚を持った誰かを次の首長に担ぎたいよねっていうところから私の名前が上がってって言う形だったんですよね。

私はあのー、先祖が、1950年代に沖縄の自民党を立ち上げた1人が私の祖父なんですよ。

なので、私たちの中にはこの、沖縄の守る本当の保守の…、沖縄を売り飛ばすような自民党のような保守の立場じゃなくて、まぁ、本来の保守の体のDNAがまぁ体に染み込んでいると。

まぁそういった流れが私にはあるので、しっかりと戦っていきたいなっていうのは、これからもれいわ新選組にずっと居ながら頑張っていきたいなと思っているところです。

つじ

心強いなぁ。

ほんとにあの裏切りの民主党じゃどうしようもないです。と言うことで私も離党したんですけども、それが今またよみがえって「大連立」がどうのって話をしているからもう論外だなって感じがしますよね。

まぁそれで沖縄のことを考えるとやっぱり台湾有事とか言うのが非常に誇大に喧伝されて、それを理由にどんどんどんどん自衛隊の存在感というか、強まっているように感じるんですけど。

要するに政権側の目論見っていうか、もっともっと強めてくる攻撃に対する、どういう風に実感的にまた具体的にですね、問題があるのかって言うことを教えていただきたいなと思うんですけどいかがでしょうか?

山川

このあたりはとても難しい話っていうか…、政府は当然地元の方に飴やにんじんをぶら下げて、どうにか入り込んで、迷彩服でも街を闊歩できるような環境を、まぁ、じわりじわりと作り出してきているんですよね。

なのでそういったことに、どうしてもやっぱり生活と言うイコールが出てくるので、「食べないと私たちは困るんだ、子供たちの為にも食べさせないと困るんだ」って言うことを彼らはにんじんをぶら下げてくることが、やっぱり多く出てきています。

それが沖縄振興予算を減らされながらも直接的に国が各自治体に予算をおろして、「ほら見たことか、沖縄県は何もできないでしょ。だけど私たちには太いパイプがあるんだよ」ってことを常に、イメージ操作をしながら、県民にそういったまぁ微々たる飴を舐めさせながら対応しているって言う状況なので…。

そういったことを、目を覚まさないといけないというところと、今れいわ新選組が伝えている積極財政で、県民の皆さん方が立ち上がれば立ち上がるほど、国民がもっと豊かになるって言う実態を作っていくことが大事なので、一番必要なのは仲間を増やし、その環境をしっかりと形にしていくっていうところだと思いますね。

つじ

そうですよね…。

広い共同戦線的なつながりを、保守・経済界含めて作り出しっていうのが、やっぱり…。

翁長さんの思いもそこにあっただろうし、やっぱり、国と社会を立て直すってのは、やっぱり、生活が誰もが安心して、誰もが希望を持てるように、見捨てられないように、生きていけるように多様に生きていけるようにってことだから、やっぱりそこは政治の原点だと思うので、ぜひその辺でれいわの力を沖縄で発揮をしていっていただきたいなと言うふうに思います。

あの、鳩山さんの所の東アジア共同体研究所か?なんて言うので、緒方(修)さんとかいらっしゃいますよね?那覇に。

そことの連絡とか、連携とかはあの…、

山川

特に今のところそういった諸団体の関わりとか、政党とかの関わりは今のところないですね。

前回の沖縄4区の衆議院選挙の1連の流れがあったので、まだある程度、この政党団体の皆さん方とはしこりがある状況というかですね…。

それもありつつも、先程来お話ししているような経済界の方々はれいわ新選組が出てきたからこそ、新しい沖縄環境で、「解決できなかったことが解決できる可能性が高まったよね」って言う期待値はすごい今あるので…。

つじ

それはもうものすごい大きな希望ですね、その今のお話は。

私あんまり具体的に知らなかったもんで、非常に今日、ためになりました。ありがとうございます。

山川

つじ先生に何か聞きたいことがあればってことで伺っていたので、ぜひですね、つじ先生が学生時代に…、あの学生時代のお話ちょっと聞かせていただきたいな、と思っているんですけど…。

多くのですね、学生運動が盛んだった時代だと思います。あの、時代とともに民主運動だったり、民主化も表現の自由も淘汰されていきながら、宗教や政治の話はタブーなんですよ、ってのが日本のまぁ一般的な考え方っていうかですね、まぁそういったようになりました。

しかしながら、今の若い方々。特に香港の若い方々が数年前立ち上がって民主化を求めながらも、最終的には国家に押さえつけられて大変な思いをしたと思うんですけど、そういったこの若者の政治に関わる気持ちだったり、社会環境だったり。あの当時と時代は違えどやっぱり未来を見据えている事はみんな一緒だと思うんですよね。

そういったことをやっぱり若者にどうあって欲しいんだって言うようなメッセージをいただければなーって、活動家だからこそ、「お前たち静かすぎるぞ」って言うような何か“檄”を飛ばしながらエネルギーを注入していただければと思うんですけど、いかがですか?

つじ

僕はね、2019年の12月に香港に行ったんですよ。で、これは中国が本格的に香港の民主化運動を潰しに来ると。で、香港の大学に機動隊が入ったりして、かなり弾圧が強まってくるって言うことで、まさに私が学生時代に、大きく運動が盛り上がって、もう最終局面でドンと弾圧されるって言う…。

あと、私の友人も含めていろいろ、いろんな人生転変があるわけじゃないですか。

だから、香港の学生さん、周庭さんもあの時ね、その後逮捕されたりしたんですけども、香港のアクティビストの人たちの運命が“二重写し”に感じられてね、60年代末の盛り上がりとそれの弾圧と、その後のほんとに抑圧された状況の中ってのを体験しているから、頑張ってほしいって思いとやっぱりここは歴史でちゃんと自分の目で確認しておきたいと。

中国の方が、日本の政府が弾圧するよりも、全然圧倒的で。全然質が違いますからね。

だから香港が本当に粉砕されるだろうなって言う危機感を持って、とにかく最後の光を見ておきたい、っていうようなことで行きました。

案の定いろんなことで制約されて、香港の議会も反中国の方が多数の選挙で勝ったりしていたのに、完全に逆転しちゃって。それでもなんかまだ続いてますよね、香港ね。

ちゃんと生きるっていうことに対する、人間のしぶとさっていうか、力強さっていうのは、時の権力がいかに横暴に振る舞おうとも、やっぱり生き延びていくんだなっていうの感じている、まぁそう思いたいからそうなのかもしれないけど、そういうふうに思っていて、やっぱり立ち上がるってことが重要だなっていうふうに思いますよね。

で、やっつけられても残るって言う。で、その残る中でなんで負けたのか?どうもう一回立ち上っていけばいいのか?ってことを必死に考える人間がやっぱり必ず残るって言うような思いがあるし…。

私はその1人でありたいと思って、今も政治に関わろうというふうにしているんですけども、特に今の若者の中でもやっぱり…、失うものがある意味ないというか、旧来の秩序が崩れていて、学歴とか、なんとか歴とか言うふうに、それで、それにすがりついて生きるよりも、自分らしさを発揮したほうが広くもっと豊かに生きられるんだって言う、逆の何か状況が社会で生まれているんじゃないかなって言うような、感じがしていて、そういう意味で希望を持っているっていうか…。

で、若者にもっと語りかけ、もっとれいわに注目してもらえるように、こう、発信とうまく関係性を作れるような場をですね、ぜひとも作っていきたいなと。

またいろいろ相談に乗ってください。はい、ありがとうございます。

西田ひさよ

つじさんからはいかがですか?山川さんに。

つじ

いやー、当面あれですよね…、名古屋に応援に来てもらえませんかね?

山川

ぜひ、調整させてもらって伺います。

つじ

22日まで国会で、多分ね、衆参同日は僕は…、今いろいろ言われてるけど、ないと思うんですよね。

あれば一緒に戦うことになりますけど、ない場合には名古屋に来てください。2回でも3回でも。また連絡させて貰います。よろしくお願いします。

山川

ありがとうございます。

西田ひさよ

ありがとうございます。
そしたらここで対談は終了と言うことで。
最後にですね、お二人からこの動画を見てくださっている方々にあのー、思いを一言ずつでもお伝えいただければと思います。まず、山川さんからお願いします。

山川

はい、あのー、動画を視聴していただいている皆さん。

今お米がですね、2000円で購入できた時代からまだ1年も経っていないような状況だと思いますけど、5000円台でしか買えない状況。

沖縄においては、その5000円台がずーっとまだ今でも、備蓄米だったとしてもまだ続いている状況です。沖縄本島がそうであったとしたら離島の八重山や宮古の皆さん方は多分もう少し輸送コストの問題で高く購入しなければいけないような状況だというのがあって、今の現状です。

ガソリンも数十年前は100円程度で私たちリッター100円だったのが、今でも170円前後だと思います。

こういった物価高も全然変えてくれない、そして所得も全然上がってくれない。何のために生きているのか、と言うような状況で苦しい社会を結婚も子育てもできないままで、安心して暮らせるような社会じゃない。

この先進国の日本って、本当にどうなっているのかな?これが当たり前って受け止めないといけないのかな?って言う方々が半分以上諦めモードで。でも、暮らさないといけない、食わないといけない。

だからこそ、なんとか食いしばってでも生活、仕事をしないといけないんだっていうところだと思うんですけど、そんなこと山本代表のおしゃべり会とか、デモの話を聞いていると、そんなことないんですよ、と。

何も心配するな、そんな国、日本をみんなで作っていきましょう。なぜなら、この国のオーナーはこの視聴している皆さん方なんです。

そういったことで、自民党でも、今の政府でも全くないってことで、お一人お一人が「変えたいんだ、絶対変わるんだ」ってことを、このつじ恵先生と一緒になって行動していただければ、どれだけ名古屋も含めて東海、もしくは日本全国が変わっていくのかって言うことを体現することが、今の時代できると思います。

なので私たちですね、弱い立場の皆さん方を、しっかりと手を差し伸べ、そして思いを受け止め、これから経済不況とも戦いながら、戦争は絶対に起こさせない、平和外交を徹底していきながら皆さん方と共に幸福度を高められるような日本を作っていきますので、つじ恵先生、ぜひともお力を、またご注目をしていただきながら、この主張を広めていただければと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。

西田ひさよ

ありがとうございました。続いてつじさんからお願いします。

つじ

きれいごとではもう通用しない時代ですよね。本気になって…。今、切迫した状況ですよ。これを変えないとみんな生きていけないって言う。

で、そこで戦う姿を政治家・政党が見せないと、もう本当に諦めてしまうっていうような状況になってしまいますよね。だからここが本当に正念場。

そういう意味で、れいわがきちっとメッセージを発することが重要だし、先日も野党共闘の集会だと言うことで、その中で「なんで『不信任案を出して今の石破政権を変える』、それが衆議院の時の民意だったのに、どの野党もやらないんだ?」って言うふうに言ったら、主催者側が「まぁまぁ、その野党の中で喧嘩をしているのが通行人にわかるようなのはちょっとまずいんじゃないか」みたいなこと言ってくるんですよね。

そんな問題じゃないんですよ!そういう、なんか綺麗事でまとまっているって言うようなことで人は感動しないし、みんなもっと本質的なところで悩んでいるし、何かないのかっていうふうに思っているわけだから、そこに本気になって届く言葉を吐いているのはれいわだけだっていうふうに私は思いますので、まぁ、戦いは参議院選挙だけではなくて、政権を奪取するまで続くわけですけども、とりわけ、沖縄の皆さんと一緒に戦っていかなきゃいけない。で、沖縄で山川さんがれいわの議員としてですね、本当にあのみんなから注目を浴びているような存在になってきていただいているって事は、れいわにとってこれ全国にそれを返すことができるから。

あの、あらゆる世代の、あらゆる領域の、あらゆる階層の人たちの利益とやっばり、れいわは全部組み込んでちゃんと日本であり、人間を立て直していくって言う、そういう本物の政党なんだと言うことを、より実感していただけるように訴えていくことができるなと、いうふうに改めて感じました。

今日の対談、山川さんお付き合いいただいて本当にありがとうございます。

ご視聴いただいた皆さんよろしくお願いします。ありがとうございます。

西田ひさよ

ありがとうございました。お二人の本当に貴重なお話、勉強になりました。ありがとうございます。これにて本日の対談は終了させていただきます。ありがとうございます。